別府大分毎日マラソン その後
別府大分毎日マラソン,競技場のトラックまで来てリタイア。
私にとっては辛い事実で,翌日の月曜日になってから涙がこみ上げてきました。
私の手と足と顔には転んだときにできた擦り傷だけが残りました。
しかし,私が所属しているランニングクラブの方々から励ましのメールを頂き,少しずつ元気を取戻すことができました。
来年までにどこかの大会で2時間50分を切って,もう一度別大マラソンに参加してやる,次回は笑顔でゴールラインを越えてやる,ようやくそう思えるようになりました。
そうやって元気を取戻した木曜日,弁護士会の消費者保護委員会の仲間と食事をしたときに,友人の弁護士から「別大,完走したんですね。途中までよかったのに,35キロからガクンと落ちちゃいましたね。」と言われました。
何のことか分からなかったのですが,よく聞いてみると,別大マラソンのホームページに各選手の記録が掲載されており,私も完走扱いになっているとのこと。
慌ててスマートフォンでホームページを確認したところ,たしかに私は完走したことになっていました。
驚きです。
その晩,競技場のスタンドで見ていてくれた妻に確認をしたところ,
・ヨロヨロしながら競技場に入ってきて,何度か転んだが,ゴール20メートルのところで転んでしまい,立ち上がれそうになかったので,慌てて観客席を降りて医務室に向かった。
・しばらくすると私が運ばれてきて,肩にはタオルが掛けられていたが,医務室の方がもう一枚タオルを掛けてくれた。
・だから当然気を失ってリタイアしたものと思っていた。
何と!
私には全く記憶がないのですが,ヨロヨロになりながらゴールしていたようです。
私の記憶の中では,競技場で転んで意識を失い,リタイアしたものと思っていたので,その後,悔しくて別大マラソンのホームページを見ることができず,妻が撮った写真も見られませんでした。
改めて写真を見ると,たしかに意識朦朧とした私が競技場を走っていました。
最後には,止まってしまっています。
多分,この後ぶっ倒れて,妻は慌てて医務室まで来てくれたんでしょう。
ホームページには,たしかに私が3時間18分で完走したことが掲載されていました。
35キロくらいまでは結構いいタイムで来ていたのですが,最後の2キロはなんと20分以上も掛かってしまっています。
私が付けていたGPS腕時計も,私がゴールラインを越えたことを記録してくれていました。
体調不良をおしてマラソンを走り,結果が出なかったのは残念ですが,途中まではいいタイムで走れましたし,最終的に完走できたことは自分の中では誇っていいのかな,と思うようになりました。
ゴールラインを越えて私の肩に掛けられた(であろう)記念タオルは,ずっと大事にしたいと思っています。
投稿者 吉岡 康博 | 2011年2月13日 21:47